No.2  思い出と軌跡

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原口

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原口さん御自身の一番最初の思い出っていうのはやっぱり「隠密剣士」ですか?
時代劇でいえばTVの「隠密剣士」だね、僕は。保育園行ってるぐらいの頃だけど。
あと「めくらのお市」とか「素浪人花山大吉」とか。
それはTVですよね。映画はどうですか?
だからそれは昔はTVで当たって映画になるっていう作品が多かったんじゃないかな。
「隠密剣士」もTVでやって、で、映画が2本あって。
「素浪人月影兵庫」とかもオンタイムで見てましたよ。
「ウルトラQ」見たりとか「オバQ」見たりとかいうのとあんまり変わんなかったけど。
「怪竜大決戦」とかも映画館で見てるからねえ。昭和41〜42年ぐらいかなあ?
「ワタリ」とか「赤影」ぐらいは知ってる?
「赤影」はわかります。「ワタリ」って、主人公が斧持ってるやつですよね?
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「赤影」はもともと「ワタリ」っていう白土三平先生の漫画を劇場用に作ったんだよ、
東映京都で。で、あれをTV版にしようとしたら映画の出来上がりに原作者の白土先生が立腹されて、
でTV版ができなくなちゃったっていう。それで横山光輝先生の「赤影」に企画が変わったっていう経緯があるみたいですね。
じゃあ、もともとあれは「ワタリ」でやる予定だったんですか?
映画の「ワタリ」が当たったんで、TV版の「ワタリ」をやろうとしたのが「赤影」になってしまったっていう。
原口さんの「怪竜大決戦」とかの流れのなかでキズがついた脳みそは、
ずっと「赤影」とかを見続けて時代劇へとはまっていったっていう感じですか?

大映の「大魔神」とか「妖怪百物語」とか。70年代が最後ですよね。
あと途中で大事なのは「魔界転生」とか「里見八犬伝」「伊賀忍法帳」。
あのへんありますよね。だから、時代劇がないわけではないんですよね。
分類としてそちら側に入れられるかどうかみたいな微妙なラインの作品しかないってことなんでしょうかね?

「魔界転生」とか「里見八犬伝」なんかはまさに伝奇ロマンで妖怪なんかも出てくるし、
そのへんは評論家さん達がどう考えるか、それによりけりなんじゃないのかなあ。
もう一回見たいですね、「魔界転生」。
僕はやっぱり「魔界転生」「里見八犬伝」「伊賀忍法帳」とか好きですけどねえ。
「真田幸村の謀略」とかね。知ってる?
知ってますよ。中高生くらいだと人が見てないようなもののほうに惹かれたりする時期ってあるじゃないですか。
だから僕、どっちかっていうと必殺シリーズもあんまり見てなくって、むしろ詳しいのは「影の軍団」とかだったりして。

僕はあんまりそういう東映派なのか松竹京都派なのか円谷なのか大映なのかっていうのは比較的あいまいっていうか。
僕が子供の頃は各社いろんなもの作ってたんで。
会社ごとに特徴というか技術的な差でもいいですけど、そういうのはあったんですか?
まあ、それは出るもんね、色とかが。美術を同じ所がやってるから、撮影所によって美術の雰囲気が違うとか。
例えば東映の「女囚サソリ701号」っていう、小学校の頃に梶芽衣子さんの女囚物ってあったんだけど、
俺が仕事で「スケバン刑事」やったときには牢屋とか出てくるとセットがいまだにおんなじだったりして。
それは同じ会社の同じ美術で同じようなライティングだとやっぱりそういうふうになったり。
「女囚サソリ」がよみがえってという感じになったりとか。
よみがえったっていうか、ほんと20〜30年経ってもセットって変わんないんだなっていう。
松竹は松竹でやっぱり色があったりします?
どうしてもやっぱり「必殺」の色が出ますよね、どこかしらに。
原口さんが小学校の頃に映画館に行ってたっていうのは家族で?それともお一人で?
いや、一人でだいたい見に行ってたけどね。
俺なんかが映画館に通った最後の頃の世代なんじゃないかな。
一人で見に行って、例えば小学校なんかの時に「女囚サソリ」の話を友達としたりっていうことは…。
「女囚サソリ」は一緒に見に行くやついなかったね。
「ちいさな恋のメロディ」とかだと見に行くやついるんだけど。あと「ゴジラの息子」とか。
でも「ゴジラ」とか東映動画のやつは、だいたい親と一緒に見に行って。
なんか流行るのがあるでしょ、「燃えよドラゴン」とか一瞬。
「エクソシスト」とか、そういうのは友達と見に行くんだけどね。
「個人教授」とかなんかさあ。一瞬そういうのが流行るんだよね、なんかね。
原口さんの中にどこか、『幻の大映京都』っていうようなのはあります?
時代劇だと「座頭市」とか「眠狂四郎」とか「大魔神」とか…仕事では平成ガメラシリーズで
東京大映でやってるんだけど、当時はあんまりガメラって好きじゃなかった。
嫌いではなかったんだけど、やっぱり回転ジェットとかかっこいいなとかとかあったんだけど、
なんとなくニュアンスとして大映京都の方が渋くてかっこいいなあみたいな。なんとなくね。
怖くないとか悲哀が感じられないとかそういう部分だったりしますか?
古いガメラとか見てると哀愁みたいなものってあんまり感じないような。
かっこいいとか子供の仲間みたいな感じはするんですけどね。

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でもけっこう刻まれたり痛めつけられたりなんかする所はけっこうぐっとくるものが。
大映京都っていうのはもうないんですか?
もう潰れちゃいましたね、撮影所は。
すごいきらびやかな画ですよね。
きらびやかっていったらやっぱり東映京都のほうじゃないかな。
ちょっと大映京都のほうが土気てて少しくすんでて全体に色調が渋いよね。
極彩色の彩度のきつさでいったら東映京都のほうがきついんじゃないかな。もっと明るいしね、ライティングが。
昔の映画がきらびやかに見えるのは、今と比べてセットも何もでかいからなんじゃないの。
昔大映京都なんかは一回使ったセットを燃やしちゃってたらしいですね、一説によると。
まあだからその都度建ててたってことでしょ。今一回作るとなかなか壊さないで使い回すみたいな。
昔の映画のお城のシーンとかって廊下が広くて畳もでかくてびっくりしますよね。
そんなことしてるから赤字がかさんで潰れちゃったりしたんだろうけどね。
それ以上に映画がもうお金を稼げなくなっちゃったっていうのもあるけど。
われわれはそういうの望んでもねえ。
東京でも唯一、時代劇のオープンセットっていうのが数年前まであったんですよ、生田に。
「大江戸捜査網」から何からだいたいそこで撮ってますよね、東京のは。NHKの大河ドラマから何から。







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で、それがヴェルディ川崎の練習場になるっていうんで無くなっちゃって。
でもう、都内ではいよいよ撮れないなっていう。
だから今東京で何かやるって言ってもすぐ日光江戸村とか。
でも日中営業してるんで、撮影条件はあんまりよくないですよね。
あとすぐ後ろが山なんで、
「江戸です」なんて言っても「山が映っちゃってるんじゃないの」みたいな、
「江戸のどこ?」みたいな感じになっちゃって。
そうそう、京都に行って始めて東京って山がないんだなって気がついたんですよ。
でも京都もやっぱり嵐山向けにカメラ据えると山の緑が入っちゃうんで、
「江戸やないやろ、これは」っていう。
最近はもう、山以前に電柱とかね、パラボラアンテナとかそういうのが入っちゃうんで、
カメラポジションとか京都映画でも今厳しいんだけど。
「御法度」なんかではね、
マット画でうしろのバレモノ全部消したりとか、嵌め替えたりとか。
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今サイトっていうのは「怪」をずっとやってるの?
今「怪」をやってて、次「木枯し紋次郎」やるんで今素材集めてるんですけど。
僕「紋次郎」と「必殺」の放映時間が重なってたっていうのはこないだ聞いて。
僕はやっぱり「紋次郎」見てましたね。
「紋次郎」はやっぱり衝撃的だったんですか?
まず上条恒彦さんの歌が巷で流れてて。「楊枝飛ばす」みたいなイメージがあって。
原口さん的に「紋次郎」のいい所、好きな所っていうのはあります?
やっぱり孤高でなんかこう、ナルシシズムに浸れるっていう(笑)。
まあ、そういうやつですよね、あれってね。
当時幾つくらいでした?
小学校3年か4年くらいじゃないかな。一世を風靡しましたよ、ほんとに。
でも一個一個のエピソードはあんまり覚えてないですけどね。
うちは親父が時代劇が好きで一家で見てましたよ。「必殺」は見てなかったな、うちの家は。
「大江戸捜査網」はずっと見てたね、家が必ず土曜の夜は自動的に…日曜日だったかな?
一番最初ね、杉良太郎だったんですよね。
「影の軍団」なんかはね、もう働いてる頃だったから、ほとんど見てないんだよね。
原口さんのデビュー作って何になるんですか?
一番最初に現場に行ったのはなんだったかな…「アステカイザー」かなあ。
「ガンバロン」かなあ。「スターウルフ」っていうのもやってるしねえ。美術&戦闘員やってたけど(笑)。
もう高校の時からバイトやってたからねえ。
「ロボコン」とか「コンドールマン」とかは特撮監督やってた関山さんっていう人がいるんだけど、
その人が家でミニチュアとかやってたのを手伝ったりとか。
プロフィールだとよくでてくる川本さんはどういった関係なんですか?
川本先生のところは大学入ってからだから、人形アニメーションを2本やってるんだけども。
それはちょっとアニメーションに興味があったんで。
川本先生は一時期NHKで「三国志」とかやってらして、まあ一番不肖の弟子なんだけれども。
造形自体を学んだのは川本さんからということになります?
いや、なんかバイトしながら。小さいころから東宝の撮影所なんかよく出入りしてたんで、作るの手伝ったりとか。
祖父が録音技師だったんですよ、東宝の。
だから「ゴジラ」とか「クレイジー」とかどっちかっていうと文芸じゃないほうのを(笑)
やってたんですけどね。だから僕「ゴジラ」を円谷さんが撮ってるころの撮影とか見てるんですよ、「サンダVSガイラ」とか。
特美とか行くとだいたい怪獣作ってたりビル作ってたりするんで、そういうとこで一日ずっと遊んでたり。
「サンダVSガイラ」のビデオをこないだ見てたんですけど、
あの羽田空港のセットってすごいでかくないですか?

昔11番って言って、もう今は無くなっちゃったんだけど、
今の東宝日曜大工センターがある所から録音スタジオまで全部一つのセットがあったの。
シネスコ対応で横長撮れるっていう。そこが特撮のステージだったの。
セットの奥の方にいる人がこんな小さかったんだから。
「サンダVSガイラ」は合成もけっこう使ってるかもしれないけど、トリッキングの画も広い画撮ってる。
11番は「ゴジラVSへドラ」まで使ってたけど、その後壊しちゃったんじゃないかな。「日本沈没」の時はもう8番9番で撮ってたから。
「日本沈没」も映画館に見に行ったんですか?
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行きましたよ、長蛇の列で。すごかったんだから。
よく後ろの扉が閉まんないとか言うけど、ほんとそうだったんだから、「日本沈没」の時は。
でもあれ大作なのに2本立てだったでしょ。渋谷東宝で見ましたよ。
今でいうヒットなんて比じゃないですね。
わかんないけど、当時でも回収が2ケタかなんかでしょ?
10億かぐらいいってますよね?当時料金がロードショーでも600円ぐらいでしょ?
僕TVのほうはリアルタイムで全部見てたんですよ。その頃たしか小学生くらいでしたけど。
そのへんは樋口真嗣が詳しいよ、きっと。やっぱり映画としては一級の映画ですよね。
近藤さんの好きな夏八木さんも出てるし。あれがだから邦画の大作映画の最後のほうじゃない?
で当たっちゃったんで「ノストラダムスの大予言」すぐ作っちゃってさ、
で、9番燃やしちゃったんだよね。
そうなんですか?
風かなんかでね。昔の9番燃やしちゃって。
僕今の東宝撮影所しか知らないんですけど、やっぱり活気は昔の方があったんですか?
うーん。活気がなくなってずっと久しいけどねえ。
でもそんなに所内がにぎわってる感じはあの頃もなかったけどねえ。まあ、今に比べたらね、全然。
ハリウッドなんかだと、どうなんですかね?
ハリウッドもけっこうカスカスだって聞くよ。
今アメリカ国内が高いんで、カナダに行ったり。でもカナダも最近だめだとかって。
なんか今みんなオーストラリアとか、ニュージーランドとかね。
「スターウォーズ」もそうですよね。エピソード2はオーストラリア行きましたでしょ?
「マトリックス」もそうだし。

それはやっぱりハリウッドの人たちは「ユニオン高いから」とか、そういうのがあるらしいよ。
海外での仕事っていうのはどうですか?
イタリアとインドネシアで一回ずつ、あと香港も一回
「チャイニーズゴーストストーリー2」っていうので呼ばれて行ったことあるな。
それは途中で分解してイギリスのスタッフがみんな帰っちゃったんだよ、怒って。
で一回作品が潰れて。気がついたら出来てたけど、映画。
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インドネシアのときの仕事っていうのはどんな作品だったんですか?
インドネシアはね、ホリプロっていう会社がその当時バブルで、ソフトに結構お金出してたんですよ、イタリアの映画とか。
で、その時インドネシアの会社にお金出して、でき上がった映画は僕見てないんだけど、
それはなんかワニの「千年ワニ女王」みたいな、邦題に訳したらそんなような。
途中で歌ったりなんかするようなやつなんだけどね。
じゃあ、インドネシアのスタッフで、向こうの作品でっていう…。
日本人でね、ちょっと名前忘れちゃったけど、きっとその当時ホリプロが思ってた子を出したんじゃないかなあ。
その子と、特殊メイクと、何人か日本から行って。出来上がったのは見てないんだけど。
それは80年代ですか?
うん、80年代だね。84、85年ぐらいかなあ。
インドネシアでやってみて、違います?ダラダラしてるとかって言われたりしますけど。
いや、そんなでも。でもまあ、インドネシアは全体的にゆったりしてるから。
だけどなんだかわかんないけど、特機さんとか照明さんとかいい暮らし…
まあ貧富の差が激しいからね。けっこう映画屋さんはハイソで儲かってるんだなっていう。
日本の活動屋はこんないい家住めないぞ、みたいな。
「ブラックレイン」で大阪に来た海外スタッフのマイク持ちは年収二千万だって聞きましたよ。
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「ブラックレイン」も僕ちらっとだけ手伝ってるんだけど。すごかったね。
地下鉄で突き飛ばして撥ねられて生首ゴロン、みたいなやつで型取りして首まで作ったんだけど。
撮影する前には市内で車止めて撮影できるって話だったんだけど、
それが大阪府警が許可出さなくて、
こんなんじゃ撮影にならないって言ってアメリカ帰っちゃったんだよね、あれね。
それで向こうでなんかへんてこりんな日本の風景で撮ってたっていう。
あれはもう怒って帰っちゃったんですよ、
アメリカのスタッフが。特に監督がこんなんじゃ撮影にならないって言って。
まあ僕は、生首を東京で一所懸命作って、
「出来ました」って言ったらもう帰っちゃったみたいな。
一応生首代だけもらいましたみたいな。(笑)
生首って、アンディガルシアがバイクに乗った松田優作に首を斬られるシーンですか?
超一流ですよね、今。

その当時は誰かわかんなかったね、誰が誰だか。センチュリーハイアットに行って、
何でこんなきれいなとこで型取りしなきゃいけないんだって。(笑)
石膏どこに流せばいいんだろう?みたいな。
アンディガルシアの生首…すごいお話ですね(笑)。
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