按摩になるか、瞽女になるか――。
1人で生きていくのが困難な盲女たち、彼女たちが選択できたのは、このたった2つの人生でした。
瞽女とは、明治・大正時代から昭和の初め頃まで、新潟県や北陸地方を中心に活躍した盲目の女旅芸人で、一座を組み、唄や三味線、語りを生業として地方の山村を巡演し生活の糧を得ていたとされています。
瞽女たちは、少し目の見える手引きを先頭に、三味線を抱え、前を歩く人に手をかけながら4〜5人が一列になって歩きました。険しい難所が続く山道は、目の見えない瞽女たちにとって非常に厳しいものでしたが、よくよく考えられた道程で、順番に馴染みの村々を回っていました。夜具や最小限の着替えなどが入った大きな風呂敷包みを背負い、深く被った菅笠の下は手拭いの頬かむり、紺絣の着物に鮮やかな色のけだし、手甲、脚絆に草鞋履きというのが正装でした。
テレビやラジオなどが普及していなかった時代、特に新潟や東北地方の豪雪地帯では最大の娯楽として歓迎され、鍛え抜かれた芸に惜しみない賛辞が贈られました。養蚕の盛んな地域では、瞽女の唄を聞くと蚕が良く育つといわれ、温かく迎えられていたそうです。
1年のうち300日は旅をしていたという瞽女の生活。彼女らを無償で泊めさせ、食事を提供した家を「瞽女宿」といい、村々の庄屋や地主などの大きな家がそれを引き受け、演奏会の会場となりました。瞽女たちは、村に入ると瞽女宿に荷を下ろし、家々を訪ねて、来訪を告げる挨拶の門付け唄を唄いました。その唄は、場所や季節に応じて唄い分けられたといいます。夜は集まってきた大勢の村人を前に、求めに応じて様々な唄を披露しzした。なかでも「葛の葉子別れ」に代表される、長い物語を幾段にも分けて唄う「段物」や、テンポが良くバラエティーに富んだ内容の「口説」が瞽女唄と呼ばれました。
各地方に見られた瞽女組織のなかで最も盛んだったのが「越後瞽女」。その主流は「高田瞽女」と「長岡瞽女」の、2つの瞽女仲間と呼ばれる組織でした。しかし、同じ瞽女仲間でもこの2つには大きな違いがあり、高田瞽女の場合、師匠が弟子を養女としてもらい受け、一家で生活を共にしながら修行と旅を続けていましたが、長岡瞽女の場合は、代々「山本ゴイ」を名乗る大親方の取締りのもと、普段は自分の家にいて親方に唄を習い、旅から戻ればまた家に戻るという契約になっていました。一緒に暮しているだけに高田の瞽女たちには深い繋がりが生まれたといいますが、唄や三味線の修行の厳しさは、どちらにも共通していたようです。
生涯を瞽女として生き抜いた杉本キクエさんは、国の重要無形文化財に指定された高田瞽女の最後の親方です。そして、最後の瞽女といわれた小林ハルさんもまた、105歳の生涯を終えるまで長岡瞽女唄の保存と継承に尽力し、重要無形文化財に指定されました。杉本キクエさんも小林ハルさんも、盲目というハンデを背負いながらも想像を絶する修行を重ねてきた人物。しかし、彼女たちは自分の芸を生きがいに誇り高く生きていたといいます。辛い旅のなかで育まれた地域との固い絆や、人間同士の温かい触れ合いが、彼女たちを最後まで支えていたのではないかと思います。
昭和になると戦後の高度経済成長による農村の変革のなかで瞽女はいつしか減少し、今ではその姿を見ることはありません。しかし、日本の重要な伝統芸能の1つである瞽女唄を残そうと、保存会なども存在し、後世に伝えるべく精力的な活動が行われています。
この映画のなかでも、瞽女宿での演奏シーンを再現しています。その場面で瞽女の一座を演じているのが、歴史ある劇団「文化座」の皆さんです。文化座で演じられ続けている演目「瞽女さ、きてくんない」は、高田瞽女の生き様を通して日本社会の特質を見つめた名作。この作品で、原作者の市川信夫先生が瞽女指導を務められ、それ以来、文化座との交流が始まりました。
この場面は、物語のなかでもふみ子の心の変化を促す大切なシーン。三味線はもとより今や絶えんとしている瞽女唄、そして高田弁などをしっかり稽古されてきた文化座の皆さんが、高田瞽女を見事に演じてくださいました。映画のなかでは「葛の葉子別れ」「松前」「磯節」の瞽女唄を聞くことができます。
高田瞽女をモデルにした舞台「瞽女さ、きてくんない」が9月から上演されます。
詳しくはこちら→劇団文化座公式ホームページ
親子二代にわたり瞽女の研究を続けていらっしゃる市川先生と、文化座の皆さんの見事なお芝居のおかげで、素晴らしい瞽女宿のシーンを撮影することができました。もちろん、文化座の皆さんに混じって、1人、子役で参加した南川あるちゃんの「三階節」も、とっても上手でした。
瞽女たちが活躍していた時代に比べ、とても豊かになった現在の日本。しかしその一方で、瞽女を始めとするかつての日本人がもっていた支え合いの精神や地域社会との触れ合い、そして厳しく慎ましくも豊かな心は、時代とともに失われつつあると思います。瞽女たちの精神を見つめ直すことは、現代の日本人が忘れかけている心の原風景を取り戻すことにはならないでしょうか。心に染み入るような瞽女唄や三味線の音色に、私たちが失くしてしまった何かが見つかるかもしれない・・・。この映画で、そんなことを感じていただけたら幸いです。